〜専修大学名誉教授が語る〜日本の教育の大問題とは。

interview, Teacher2017.11.2

池本正純様インタビュー

 

こんにちは!Comfort Zone広報部の吉田です!

 

この度は、専修大学名誉教授である
池本正純先生にインタビューさせて頂きました。

吉田:今、日本に住む多くの人が教育に対して問題意識があると思っています。
今の教育は戦後から何か変化はあるのですか?

 

池本先生:日本の教育は戦後から基本的に大差はないです。制度的なことを言うと、偏差値という言葉は受験界から作られたと思うのですが、でも僕は現代の日本の教育は「偏差値至上主義」だと思っています。偏差値という言葉は作り出される前から偏差値至上主義に相当する考え方はありました。つまり、大学を受験勉強の難しさの中で序列付けをすることは昔から行われていました。

その序列というものは、今話題になっているグローバルな世界の中でどのような大学のレベルが最も高いか、という評価ではない。
どのレベルの受験生が、受験勉強の達成レベルでどの大学が最もポジションが上かということです。

 

吉田:なるほど。今もそうですけど、生徒に対しての評価基準がテストの結果だけ、ということだったのですね。

 

池本先生:その通りです。偏差値はなくたってそういった序列があり今も変わっていない。結局、勉強の目的は何か、戦後どういう風に言われ続けたかと言いますと、「偏差値の高い大学に受かるために勉強をする」ことです。

 

そして、なぜ偏差値が高い大学に入るために勉強をしなければならないかというと偏差値の高い大学に行けば、就職の際に大企業に有利に入れる、ということです。大企業というものは日本的経営に守られていて生涯そこで楽にぶら下がっていける。楽な仕事人生を歩んでいける、という図式なわけです。

 

これはキャリアの価値観と呼んでいるのですが、結局そう言う考え方に染まっていると、どう言う現象が起きるかと言いますと。
自分を含めたキャリアを描く際に、18歳で勝負が決まってしまうのです。

 

どこの大学に入るかでキャリアが決まってしまう、ということですね。

 

18歳でキャリアの勝ち組と負け組が決まってしまうということです。
今でもそういう意識が抜けきっていない。それは僕たちの頃から、それ以前も同じであったと思います。

一番困った問題は、キャリアの勝ち組はそれでやっと終わったと、もう勝ち組のエスカレーターに俺も乗っている、と。そこで燃え尽きてしまう。本来大学はスタートであるはずなのに、大学に入ることがゴールとなってしまっているのです。

 

人間の能力は20代で伸びると言われています。40歳から50歳で伸びは止まってきてしまう。大学入ってからが重要なのに、遊んで暮らしてしまう。今よりも昔はもっとひどく、「大学は遊ぶところ」という考え方があったのです。受験勉強で頑張ったから大学は遊んでもいい、という考え方です。この考え方が社会に根付いていました。

18歳で達成した偏差値で全てだと誤解してしまう。そして、負け組の方はまた困った問題があり、日本の若者のほとんどが実は負け組なのです。
つまり自分の思った偏差値の高いところが、慶應大学に入っても東大に行けなかったというコンプレックスを持っているのです。

 

東大生にもコンプレックスがあり、例えば文学部にしか手が届かず、本当は法学部、理系であれば医学部に行きたい、少数派にしか達成感がない、客観的に見ても良い大学に入った人ですら、なんらかの形でコンプレックスを抱えてしまう。そして、それを長くひきずってしまう。
負け組の自分は負け組と思いつづけコンプレックスをひきずってしまう、という日本の教育の構造があります。

 

どこの大学に行っても同じコンプレックスがあり、その根源が偏差値なのです。

 

私はそれが日本教育の大問題だと思っています。

 

なぜ大問題か?偏差値が高ければいいのか?若者は低いより高いほうがいいと言いますが、それで優越感を持つことが困りもんなのです。

偏差値至上主義の問題点は、社会人になった時に必要な能力は偏差値ではないことです。社会人になって仕事をする上で、活躍する上で重要な能力は何があるのか、偏差値だけではなぜだめなのか。という点が重要になってきます。

 

まずは偏差値が高いことの能力、つまり勉強ができることの能力は、正解があらかじめ用意されていること。問題文を読めば正解にたどり着けること。受験勉強をすれば誰でも気づくことですが、問題はパターン化されており、もう一つの特徴は正解が与えられている点と試験時間が短時間であるということ。

短時間で正解にたどり着くためのスピードを上げる訓練をしなければならない。
その試験パターンを習熟する必要があります。

それにより、短時間で正解にたどり着く、特殊なゲームの発想がスタートするのです。

思考力ではなく作業にシフトしています。
本当の意味での偏差値が高い人は頭の良さではないことがわかると思います。

社会で問われる能力は、正解のない中で、いかに自分たちで正解を創り出すかです。

情報が限られている、将来が見えない。この中でどういう能力が必要なのか。

 

1番目はどこに問題があるのかをさぐり当てる(問題発見能力)です。
勉強は正解が用意されている。
しかし、社会に出てぶつかる仕事上の問題は、どこにあるのかがわからない。問題の所在を発見することが大切です。

そして、その問題がここにありそうだと思った時に、解決方法を自分の頭で探り当てなければいけない。

そういった創造力、クリエイティブな力は問題発見能力と課題解決能力の2点だと思います。

2番目の能力は人間関係構築力です。学生に聞くと付属から来た友達が多く、心配はいらない、なあなあなあの友達がいることは人間関係構築力ではなく、必要なのは、知らない分野の人と幅広く人間関係を構築できる力だと思っています。

利害が対立する取引先の方と信頼できると行ってもらえるような関係が重要です。人間関係のネットワークの幅が構築できていると何がいいのかと言いますと、何か問題を抱えている時、飲み会の時に違う業種の方にうちの会社でも同じ問題を抱えていてそのときにこういう対処をしました。と聞ける。
つまり、仕事は1人ではできなく、いろいろな人に助けられながらするわけです。ネットワークは広ければ広いほど助けてくれる人が増える。

 

3番目は決断力、受験勉強育ちのひとたちと 付き合っているとよく感じるのは、決断力がないと言うことです。
こういうエピソードがあります。ある生徒が以前、私にこのようなことを言ってきました。
「先生、内定を3つもらったのですが、先生3つのうちどれが正解でしょうか?」と聞いてくるわけです。

僕は「バカやろう、お前の人生なんだ。お前が決めなさい」と言いました。
それは受験勉強の弊害です。僕の偏差値でどの大学を受けるか正解か、ということと同じです。

先ほど話した決断力、人間関係構築力、問題発見解決能力の3つは重なり合っています。

 

それを円にかくと3つとも重なり合っていて、そのコアがある。
そのコアとは、「志」なのです。
その志とは、自分がこの世に生を受けたからには、何か自分らしい仕事をやったと思いたい、言われたい、自分だからこそできたと言えるような仕事をやっていたい。

自分は何をやれば社会に貢献できたか、と思えるか。これが僕の言う志です。

その志があれば問題が見えてくる。解決策が見えてくる。

その志があれば決断ができます。
その志がなければいつまでたっても決断ができません。
その志があれば人間関係の幅が広がり、ただ名刺交換をするのではなく、一言二言を交わした時にこのひとはアツいと思われる、名刺交換以上のものが生まれるのです。

社会に出て問われる能力とは、決断力、人間関係構築力、問題発見解決能力で、その更に中心となっているのは志です。

最初の話に戻りますが、偏差値をひたすら高くすることを目標にする受験勉強ではその志は育たない。

皆さんも偏差値だけではダメ、お勉強ができるだけではダメですよね。世の中に出たら何かが必要じゃないか?その何かに疑問を持っている、ということです。

それで、受験勉強では何も身につかないのか?というと、受験勉強で身につくことはきちんとあります。

一つは情報収集能力です。図書館、パソコン、ネットの使い方です。
もう一つは、ロジカルシンキング、お勉強の中で論理的思考はある程度身に付けることができる。
もう一つは、プレゼン能力。大学に行ったりすればプレゼンの機会は増えるので、プレゼン能力はある程度身につくでしょう。

どこまで身につくかは人それぞれですが、大学の座学の延長線上で身につくことが全くないわけではないです。

しかし、学校のお勉強では絶対に身につかないものが先ほどの3つの能力です。

 

吉田:社会に出て生きていくには、そちらの能力の方がはるかに重要ですよね。

 

池本先生:はるかに重要。お勉強をして来たけどさあ就活だと行った時に、社会人になる自信がいまいち持てない、それはなぜなのかもわからない。
卒業を間も無く迎えるけれども、社会人として旅たつ自信の無さは僕が経験したことです。

 

吉田:なるほど、今の教育の問題をここまで明確に言葉として聞いたことはないです。抽象的なことを言語化できるということは、人一倍、教育に対する経験そして熱意があったからですね。そして、このような問題に気づかせる教育を今後やっていかなければなりませんね。

 

池本先生:僕に言わせると、それに気づかせるための教育、そういった力を身につけさせる教育がキャリア教育なのです。日本で欠落しているのはキャリア教育なのです。志、社会でどうすれば役に立つのか、を模索させる。日本の教育には完全に欠落している。偏差値を上げるためだけではだめなのです。

 

吉田:志や目標があり、その目標を達成したいからこの勉強が必要だからこの大学に行こうといったような形が本来あるべき姿ですもんね。

 

池本先生:はい、その通りで偏差値至上主義が歪んだキャリアの価値観を生んでいるのです。そして、それが根拠のない優越感や劣等感に苛まれたりするのです。

 

吉田:本当におっしゃる通りだと思うのですが、池本先生はそういうキャリア教育を受けて来たわけではないですよね。ほとんどの人がこの社会の風潮に流されていく中で、池本先生はどうして気づけたのでしょうか?

 

池本先生:それは人との出会いだと思います。結果的に僕はいい人と出会ってきたと思っています。勉強の深さ、本を読むのも大学の先生が読んでいる教科書だけではダメなんだと。出会ってきた人の中には、現在は生きていない人の本もある、偉大な人、本の著者との出会いもありました。リアルな人との出会いもあれば、本の世界での出会いもある。そして、素直に様々な人の言葉を聞き入れ自分の成長に変えていくことができたのだと思います。

受験勉強だけではだめ、と言う人も人それぞれですが、言語化するにあたり僕が研究して来たテーマが起業家、英語で言うとアントレプレナーを研究して来ました。僕は経済学の畑の中でアントレプレナーはどういう風に理解されているか。が僕のテーマだったわけです。ひょっとしたらそれが影響しているかもしれない。

 

吉田:池本さんは起業家のようなお考えをされていますもんね。

 

池本先生:ただ、僕は働いて来た経験はあまりないですよ。アカデミー育ちの人間なので。企業で働いた経験はあまりないです。僕の最大のコンプレックスはそこです。自分がそういう弱みを持っているから、それを補うような努力をしなければならないから研究を続けて来ました。だから色々なビジネスの人たちとできるだけ会うようにして来ました。それは僕の努力目標です。

 

吉田:今日お話ししたそういうことも全ての大学で教えて欲しいですね。

 

池本先生:大学の教員は自分の偏差値が高いと、それに自負心を持っている人の塊なのです。正直行って大学の先生は全くビジネスに不向きな人間の吹き溜まりなのです。だから就職支援も大学の先生にはできません。

海外もお勉強の世界があるのですが、日本のように偏差値至上主義はダメだという感覚は自然と国民性の中にもたれている。大学もそういう意識があって起業家教育のような講座も各大学にある。

 

吉田:それでも、今の日本の教育の現状を誰かが変えていかないといけませんね。そして、僕たちコンフォートゾーンはその誰かになっていきます。

 

池本先生:大学には高くて分厚い壁があります。僕はそういう戦いを大学の中でやってきました。一緒にやっていきましょう。少しずつ教育を良い方向に変えていきましょう。

 

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